占いには数多くの種類があります。源流を同じくするものは、その仕組みも似通っている点が多いものの、結果が大きく異なることが多いです。
様々な占いの知識を手に入れることは、そうした占いの個々の違いを知ることにつながり、それだけでも楽しめます。今回は中国の占いの一つ「算命学」についてまとめてみました。
算命学とは?
「算命学」は、中国発祥の「干支暦」を元にして、年月日の「干支」を算出し、人の運命について占う中国占星術の一種です。
この占い方法は中国の陰陽五行をベースにした運命学の一つの流派として存在し、伝統を受け継ぎながら日本においてひとつの学問として大成したという経歴があります。別名、「算命術」ともいいます。
「算命」とは、中国で「運命を算出する」と言う意味があります。なお、生年月日から人間の特性や運命を推量する術を算命学と称するのは、日本独自の表現方法です。
算命学には、「命を計算し(今でいえば「デジタル化する」という表現がわかりやすいでしょうか?)、その人の持つエネルギーを数字で計算するという技法」というものが含まれます。これを「数理法」と言います。
算命学の歴史
算命学の発祥は、中国の春秋時代の「鬼谷子」にあるとされています。ただし、空想上の人物であるという説もあり、この点については定かではありません。
その後、鬼谷子に学んだ者たちがより洗練し、後の権力者たちの間での秘伝となりました。算命学は、王朝のお抱えの占い師たちの一子相伝となり、王朝が滅べば次の王朝に受け継がれると言う歴史をたどってきました。
漢代から隋唐の時代に至り、陰陽五行が干支五行説として成熟捨て行く中で算命学は天文暦法を原理として発展していきます。
日本における算命学
第二次大戦後に中国で「共産党革命」が起こり、その際に算命学の正当な伝承者だった「呉仁和」が日本に亡命しました。
その後、算命学の理論は「高尾義政」へと受け継がれ、その後、高尾義政によって算命学は広められ、いくつかの著書も残されています。なお日本には高尾義政が継承した「日本系の算命学」のほかに、「台湾系の算命学」が存在します。
四柱推命との相違
生年月日を、それぞれ「十干」「十二支」に割り当てると言う点において、同じく古代中国を源流とする「四柱推命」と似通っている点があります。
しかし、一部の解釈において重要度が大きく異なっており、その点において算命学と四柱推命の相違点が見られます。
まとめ
算命学は、中国発祥の占いであり、年月日を干支にして人の運命を割り出します。
中国では王朝お抱えの占い師が一子相伝で受け継いでいき、王朝が変わっても受け継がれていきました、日本には第二次世界大戦後に伝来し、高尾義政が継承しました。干支を用いるという点で「四柱推命」と似ていますが、解釈の仕方が異なっています。